教員紹介

法学部教員コラム vol.14

2013.04.09 法学科 鈴木 みゆき

「あの人だったら、仕方ない」を見つめ直す

法学部では、法学部教員の研究生活の一端や、大学人として
折にふれて感じたことを、コラムとして順次紹介しています!

 

 

2013-4-9 掲載
vol.14   『「あの人だったら、仕方ない」を見つめ直す』
執筆者:法学部 准教授 鈴木みゆき (心理学、教育相談、特別支援教育)

 

 

 

 

小田原キャンパスから望める春の景色(4月撮影)

 

 

その女性は、安食堂のウエイトレス。派手な服装とメイク、麻薬所持の前歴あり。ある日、バーで酒を飲みマリファナを吸っていた彼女は、ある男性をダンスに誘います。しかし、その後、彼女はその場で複数の男性にレイプされてしまいます。彼女がレイプされている間、周囲の人々は彼女を助けるどころか、奇声をあげてレイプしている男性をあおり、口笛を吹いてはやし立てます。
彼女は裁判を起こしますが、警察を含め周囲の反応は冷ややかです。人々はこう言います。「あいつは男性を挑発する女だ。レイプされるのは“ジゴウジトク”でしょ?」
彼女は、レイプを見てはやし立てた人々を告発します。そして裁判の結末は・・・。

 

 

これは、「告発の行方」(米国,1988)のストーリーです。さて、あなたはこれを読んで何を感じたでしょうか。私はこの映画から、いじめの問題を考えます。
いじめは4層構造をなしているといわれます。「被害者」「加害者」「観衆」「傍観者」です。「被害者」と「加害者」は分かりますね。「観衆」とは、いじめを見てはやし立てる人のことです。先ほどの映画で言えば、口笛を吹いたり奇声をあげたりしてはやし立てた人々が「観衆」にあたります。そして「傍観者」とは、いじめを見て見ぬふりをする人です。
「いじめはよくない」と分かっていても、時に私たちは「観衆」や「傍観者」になってしまいます。それははぜでしょうか。
私たちの心の中には、「あの人だったらそういうことをされても仕方がない」という考えがあるのかもしれません。映画の中では、多くの人が「あいつは派手で、教養もなく、男を挑発するような女だから、レイプされても仕方がない」と考えていました。私たちはどうでしょうか。「あいつは、おとなしいからいじめられても仕方がない」「あの子はジコチューだから無視されても仕方がない」と思っていないでしょうか。小中学生を対象としたある研究では、いじめをとめようとしなかった理由で最も多かったのは、「その人にいじめられるだけの理由があるから」でした。これは「仕返しが怖いから・自分がターゲットになるかもしれないから」という理由の約3倍です。
「誰をいじめるか」「どれぐらいいじめるか」のキャスティングヴォードを握っているのは、実は「観衆」と「傍観者」です。それは、「加害者」は、いじめをしても周囲から非難されない人をターゲットに選ぶからです。つまり、「観衆」や「傍観者」の「あの人だったらいじめられても仕方ないよね」という雰囲気を敏感に感じ取り、いじめを開始・加速させるのです。
いじめは、相手の人間としての尊厳を傷つける行為です。私たちは「いじめは良くないことだ」と分かっていつつも、同時に「あの人だったらいじめられても仕方がない」という考えを持っています。私たちは知らず知らずのうちに「人間らしく扱うべき人と、人間らしく扱わなくてもよい人とがいる」と考えてしまっていると言えるでしょう。
私自身、自分がこのような考えを持っている可能性があるということを受け入れるのは、とても難しいことです。しかし、そこから目を逸らしては、いじめの根本的解決には至りません。私たちが心の底で持っている「あの人だったら、仕方ない」という考えに、あらためて向き合う必要があるのだと思います。

 

 

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